依佐美中学校分校の思い出



分校開設までのいきさつ  分校閉校記念誌の生徒会のページより転載
かつて、小垣江に住む中学生はみな依佐美中学校へ通っていました。しかし、依佐美中学校の学区の地域開発がすすみ、ここへ移り住む人も増えたため、生徒数も爆発的に増加していきました。
 昭和57年には生徒数1567人、学級数も各学年12〜13クラスのマンモス中学校になってしまいました。愛知県でも5本の指に入るものだったのです。
  ☆生徒数が多くて困ったこと☆
 ・体育館に入ると、ギュウ詰め。 ・プレハブ2階建て校舎を学期ごとに変わった。
 ・校門から2キロ先まで自転車の列が続いている。
 ・体育大会の予選が前日にあり、大会当日出場できない生徒もいた。
 ・清掃区域がなくて、教室を30人で掃除していた。
など様々な問題も起こり、新しい中学校が必要だということになりました。


当時、依佐美中学校は急激な生徒増加のため、これ以上の生徒の収容が困難になりつつありました。また、計画されていた新設中学校(現朝日中)の完成も5年先という状況でした。そこで、それまでの依佐美中の過密の解消策として、当時建設がすすんでいた小学校(現小垣江東小)の校舎を転用して「依佐美中学校分校」が開設されました。
 開設当時から、5年間の期限付きということや、急激な生徒数増加で、「降ってわいたようにできた」ということなのか、理由ははっきりとはわかりませんが、「幻の学校」という記述が昭和62年の生徒会新聞などに見ることができます。
 しかし、この学校を「愛知で一番いい学校にしよう」と努力された先生方がいたこと、それに応えようと、がんばった生徒たちがいたということはまぎれもない事実です。