鉄塔と依佐美送信所  戻る

1926年に工事に着工。1929年から送信を始める。鉄塔は,高さ250メートルの鉄柱8本で16本の送信線を支えるように作られた。当時,日本には日本のための専用の電信線がなく,イギリス,デンマーク,アメリカのを貸してもらっていた。第1次世界大戦が起こってからは,アメリカ線1本で非常に不便だった。そこで,送信と受信の施設を作ることになった。@依佐美が選ばれたわけは,海に面した広い土地があった。A東京と同時に地震など受けないところ。B土地の値段が安い。C電力が得やすい所(野田変電所から得ていた)D作るときに資材の運搬がしやすい。E高い建物なので地盤が堅いところなどです。
 地元の人の協力の下,第1次世界大戦のドイツからの賠償として,ドイツの技術者,資材を運び作られた。


 「鉄塔の思い出」
 今は電気が流れていて大変危険だが,第2次大戦後しばらく使っていないときがあった。その時に,鉄塔の頂上まで登ったことがあるが,三河湾がきれいに見え,海に向かって開けていることがよくわかった。ただし,降りるときは,登るときより怖く,手に豆がいっぱいでき,足がぶるぶる震えてつりそうだった。 
  1977年 双葉小学校教頭 
       大橋不二夫先生の話


  依佐美送信所関係資料

   送信所写真集

  依佐美送信所50の謎
  
  ・・・野田の歴史家・鈴木
    哲先生の著書です。

鉄塔リンク
KARIYA CITY歴史南部
依佐美送信所関連資料集
国際電気興業碧海電子鉄道-依佐美信号場-
送信所を作った人 
加護谷祐太郎 略歴
「依佐見送信所 70年の歴史と足跡」
産業遺産のページ